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最終更新日:2010年4月1日
伊香保温泉は、榛名山二ッ岳の火山活動により温泉が湧出し、今より約1900年前の第11代垂仁天皇の時代に発見されたと伝えられ、万葉集東歌25首中、9首詠まれており、歴史の古さを物語っています。
イカホの語源は、アイヌ語のイカボップ(たぎる湯)湯川(ユカワ)とも、イイカオ(好い顔)、大変景色の良いことの意味からなど諸説が伝えられています。
町の中心にある石段街は、天正4年(420年前)頃に形成されたと伝えられ、独特の温泉情緒をただよわせています。
明治22年に、伊香保、湯中子、水沢の3村が合併して町制を施行し伊香保町が発足、そして平成18年2月20日に、渋川市、小野上村、子持村、赤城村、北橘村と新設合併し、渋川市となって今日に至っています。
江戸時代に入り武士や庶民の旅が盛んになると、「子宝の湯」「婦人の湯」と呼ばれ遊興保養地として隆盛し、滝沢馬琴や十返舎一九などの多くの文人墨客が訪れました。
明治時代には、県下唯一の御用邸が開設され、中央の政財界人、文人、外国人の避暑地としてにぎわいました。特に、文豪徳冨蘆花の著書「不如帰」の舞台となったことで「伊香保温泉」の名が全国に知られるようになりました。
昭和60年関越自動車道の渋川・伊香保インターの開設により、観光客の増高が図られ年間260万人(宿泊客163万人)を迎えるまでに発展しましたが、その後は旅行者ニーズの多様化などにより、観光客数が漸減の傾向にありましたが、温泉街において旅行者ニーズに応えるなど、増加に転じ始めています。